優れた文化的遺産、自然景勝地、保護すべき動植物の生息地等(文化財等)の取得及び保護活用(いわゆるナショナル・トラスト (National Trust)の一翼を担っています。) 並びに先賢の顕彰を行っています。また、関連する受託事業として、岡山後楽園、犬養木堂記念館、岡崎嘉平太記念館の管理、岡山県自然保護センターでのタンチョウの飼養を行っています。
「岡山後楽園 殿様の御馳走帖」事業
- 岡山後楽園で岡山藩主が実際に食べた料理を文献史料「御後園諸事留帳」から掘り起こし、再現した御膳及び料理をレシピ集「岡山後楽園 殿様の御馳走帖」として取りまとめ、令和5年11月に完成発表会及び試食会を開催しました。
- 【掲載料理】 本膳料理 1膳(天保6年(1835)10月6日 7代藩主 池田斉敏)
- 会席料理 1膳(文化9年(1812)11月7日 隠居5代藩主 池田治政)
- 単品料理 41品
- (内訳)
- 殿様の御膳 22品
- 寛彰院様の御膳 8品
- 殿様からの御祝儀 11品
池田光政公御涼所跡整備事業
地元の皆様や土地所有者である岡山県のご理解とご協力をいただきながら、光政公の事績を伝えるとともに、この御涼所跡が郷土の誇るべき歴史や文化を知る場として受け継がれることを願い、整備委員会を設けて「甘棠(かんとう)碑(のひ)」の修復と周囲の整備を行いました。
*場所は中之原集会所の前です。
岡山後楽園仁王像・四天王像の保存修復
岡山後楽園築庭300年(平成12年)の記念事業として、名園を築庭された池田綱政公が祀った、仁王像と四天王像の損傷が甚だしく、広く浄財を募って修復しました。
備中漆の復活
かつて漆工芸品はジャパンと呼ばれ、ヨーロッパにおいてもてはやされ、日本文化のシンボル的存在でした。
この漆工芸を支える良質の漆産地として、岡山県北西部に位置する備中地方は、中世の頃からその名が知られていました。
衰退の一途をたどっている備中漆の復活に、(社)林原共済会と共同して平成6年から取り組んでおりましたが、林原経営破綻に伴い、平成24年4月1日から、文化財団を含む「備中うるし利活用協議会」で引き継ぎました。
文化財団は、「備中うるし利活用協議会」の事務局として、皆様のご芳志をいただいた“備中うるしを守ろう!”募金を活用して、岡山県立美術館や勝山文化往来館『ひしお』や新見美術館等で開催した「もっと伝統工芸 備中漆」展などを共催し、普及啓発事業を受け持ちました。
令和4年、10年間の活動を終え、一定の役割を果たしたことから「備中うるし利活用協議会」は解散しました。
内田百閒コーナーの開設
内田百閒のご遺族や関係者から文化財団に寄贈された遺品やゆかりの品々は千点を超えています。このコーナーでは、百閒文学や人となりを紹介しています。
岡山県庁分庁舎1階ロビー
岡山市中区古京町1-7-36(元三光荘)
開館時間:平日(9:00~17:00)(土日祝は閉館)
内田百閒文学碑の建立
岡山市中区古京町に生まれた名文筆家内田百閒を顕彰するために、百閒の生家にほど近い旭川河畔「旭川さくらみち」沿いに文学碑を建立しました。
この文学碑は全国の多くの方々から寄せられた募金によって完成し、昭和60年(1985)4月20日の命日に除幕式を行いました。
設計は、土門拳写真美術館や東京都葛西水族館などの設計で知られる谷口吉生先生にお願いし、石工事は、イサム・ノグチの作品を手がけた四国香川県牟礼町でアトリエを持つ庵治石の和泉正敏氏が担当されました。
文化財団が直接修復工事を手がけた事業
- 広兼邸の修復(高梁市)
- 由加山南参道丁石の復元と道しるべの修復(倉敷市
市町村や団体と共同して修復した事業
- 熊沢蕃山、山田方谷居宅跡の修復(備前市)
- 鳥居ケ乢郷土記念物の修復(真庭市)
- 備前焼天保窯の修復(備前市)