当財団では、文化財庭園「岡山後楽園(岡山市北区)」の管理運営受託、岡山の先賢を顕彰する「犬養木堂記念館(岡山市北区)及び生家」と「岡崎嘉平太記念館(加賀郡吉備中央町)」の指定管理及び自然保護への認識を高める「岡山県自然保護センター(和気郡和気町)」のタンチョウ飼育管理及び傷病鳥獣の保護の再委託を受託しています。
岡山後楽園
岡山後楽園は、岡山藩主池田綱政公が家臣津田永忠に命じて、貞享4年(1687)に着工、元禄13年(1700)一応の完成をみました。
その後も、藩主の好みで手が加えられましたが、江戸時代の姿を大きく変えることなく現在に伝えられてきました。
また、江戸時代の絵図や池田家の記録、文物が数多く残され、歴史的な変遷を知ることのできる、地方では稀な大名庭園となっています。
後楽園は、かつて藩主の静養の場、賓客接待の場として使われていましたが、日を定めて藩内の人々にも観覧が許されていました。
明治17年(1884)に岡山県に譲渡され、一般公開されています。
昭和27年には文化財保護法による「特別名勝」に指定され、世界に誇る文化財として維持管理にあたっています。
犬養木堂記念館
犬養木堂記念館は、明治から昭和にかけて活躍し、わが国の政党政治史上において、大きな役割を果たした政治家犬養毅(号 木堂)の功績をたたえるとともに、地域文化の振興に役立てるために、木堂の生誕地である現在の岡山市北区川入に岡山県が開設した施設です。また、敷地内には、国指定重要文化財の旧犬養家住宅(木堂生家)があり、江戸時代の庄屋の屋敷として公開しています。
木堂は、民意を反映した政治を目指し、政党政治の確立や普通選挙制度の実現に貢献し、中国などアジアの人々への支援も行った、情に厚い政治家でした。
昭和6年(1931)12月に岡山県初の内閣総理大臣となり、同年に起こった満州事変の収拾や経済不況対策、政界の綱紀粛正など民衆の期待を背負って難局に当たりましたが、翌昭和7年(1932)5月15日、首相官邸(現在の首相公邸)で海軍青年将校らの襲撃を受け、生涯を終えることとなりました。
木堂は、書や刀剣などに深い見識を持ち、文人としても広く知られる存在で、特に書においては、近代政治家の中でも随一と言われ、「木堂」や「木翁」などの号をしたためた多くの書を残しています。 木堂の偉大な業績と遺徳を偲び、その精神を後の世に伝えるために、犬養木堂記念館では資料の展示やイベントなどを行っています。
岡崎嘉平太記念館
当館は、生涯を通じて日中友好に尽くした岡崎嘉平太氏の生涯とその思想、多くの業績を次の時代の人々に永く伝えるため、平成13年(2001)8月に、岡崎氏を名誉県民に推戴している岡山県により、生誕の地吉備中央町に開設されました。
岡崎氏は、旧制岡山中学校時代に中国人の友を通じて中国との友好に関心をいだき、東京帝国大学を卒業後、日本銀行に入り、後に上海に赴任、その後上海に設立された日中合弁の華興商業銀行理事となりました。
終戦前には上海大使館参事官となり、終戦処理を済ませて帰国後、戦後経営難となっていた企業を再建するほか、日本の航空事業発展にも尽力し、経済界で活躍しました。
特筆すべきこととして、中国との国交が断絶していた時代に、日中覚書貿易の牽引役となり、貿易を通じて国交回復の実現に導きました。中国の周恩来総理と結ばれた厚い友情の絆を物語る品も展示されています。
記念館では、岡崎氏のことを少しでも多くの方々に知っていただけるよう、常設展示に加えて、講演会や様々な企画展等を開催しています。
岡山県自然保護センター
平成3年(1991年)に開設された岡山県自然保護センターは、吉井川中流の県立自然公園の一角にあり、二つの池を中心になだらかな山並みに囲まれた約100ヘクタールの自然観察フィールドを有しており、その中に、国の特別天然記念物であるタンチョウを身近に観察できる施設や傷病鳥獣の保護施設もあります。 このタンチョウ飼育及び傷病鳥獣保護業務について、当財団が受託しています。